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「河童のクゥと夏休み」を観終わった後、ふっと浮かんだ言葉をタイトルにしてみました。
(ちなみにレタスバーガープリーズOK,OKでの稲造さんの台詞です)

どうしてこうもオロカなのか。

クゥが生きていた江戸時代で、己の立場が危うくなるという恐怖から侍はクゥの父を斬り殺したし、それから何百年たった現代でも、主人公康一は気になる女の子がいじめられているのを己の保身ゆえに助けもしない。

なりゆきで女の子と言葉を交わせるようになり喜んでる半面、彼女が引越しをすることになったと泣き出しても
優しい声ひとつ掛けることなくその場から逃げ出してしまう。普段は「うざい」「うっせぇブス」などといきがって外側は鎧で武装していても所詮中身はまだガキ、他人を気遣えるほど成長してはいないのだ。

オッサンを拾ってきたのは康一。
でも世話をしているのは結局は母親。

クゥのおかげでテレビに出られるとはしゃぐ康一。
おっかねぇと怯えるクゥにその理由など聞きもしない。

だからこそクゥは康一のそばを離れるしかなかったのではないだろうか。

クゥに出会ったことで康一は成長したのか?
答えはNOとしかいえない。結局クゥを救えたのは
同じ妖怪のキジムナーだったことがそれを証明していると思う。人間が異形のものを受け入れられる器にまだ成長していないのだと突きつけられた気がした。

ただ、救いは別れ際に康一がクゥの心の声を聞けたこと。人間はオロカなままではいけない、きっかけを与えてくれたクゥや自分自身のためにも臆病なままではいけないのだ。
そんな可能性を見せつつ映画は終わりを迎える。

なんてかなり辛口な意見を書いたけど
映画の内容自体は素晴らしいのですよ。
本来はきっともっといい子なはずの康一という
キャラクターを、あくまでも「どこにでもいそうな
現代っ子」に設定したのも「あえて」でしょうし、
そうすることで観た人にそれぞれ考えて欲しいという
監督のメッセージだと思うんですよね。

それに出てくる子供達の細かな描写が実にリアル。
康一の妹が最初はクゥを邪魔者にしてたのに、だんだん心を許していくさまは見事。
お父さんの腕を抱いて動揺するクゥの姿に真っ先に反応し、泣き出したのが妹でした。キジムナーの元へ行くというクゥに「今度いつ会える?」と言いつつ、会えないと判ってるから号泣するんですよね。

菊池さんも、康一という友人を持つことができたことで
帰ってこない父の靴を捨てられた。彼女も父の帰る場所が自分の家じゃなくなったことが判っていたのだろうけど、いじめっ子にそれを言われ、自分で認めることが出来なかったのでしょう。「話をしてくれてありがとう」と引越しすることで分かれる康一にお礼をいい、感極まって泣き出す菊池さんに私もつい貰い泣き。

しかし最たる感動キャラは犬のオッサンでした。
最初のご主人に、いじめのうっぷん払いに蹴る、殴るの暴行を受けたために逃げ出したオッサン。
康一に付いていったのもそのご主人に似てたから。
康一の家に飼われることになっても決して可愛がってもらってるように見えなかったけど「恩がある」というオッサン。
クルマに跳ねられ、息絶える間際でも
最初のご主人を案じているオッサン。

犬って動物は・・・・だめだ、切な過ぎるよ。

というわけで、決して観て爽快になる映画でないけれど
いろいろ考えさせてくれる「河童のクゥと夏休み」。

よかったら見て欲しい映画です。


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